-
「ない」はない。「ある」しかない。
2012/05/123年くらい前に、ダンナと御揃いで指輪を買いました。
ブルガリにしてはうんと低価格な上、
上代の何10%かが世界の恵まれない子どもたちへの資金になるという
「SAVE THE CHILDREN」企画の商品でした。
結婚記念日にこの指輪を買うのはGOOD IDEAやね!
と、二人で歓んで購入したのです。
ところがその後、朝ごはんのおにぎりを結んでいて
気がつくと、指輪が指から消えていました。
梅干し入りおにぎりをつくるところまではあったので
どうも明太子入りおにぎりの中が怪しい。
でも、気がついたときは
おにぎりは、すべて平らげたあとだったので
誰かの胃袋に入ってしまったものだと思いました。
一応家族には「おトイレで気をつけて見てみてねー」とお願いしましたが
見つけられなかったのです。
1年くらい前には、産土神社へお詣りに行くときに
一緒に連れて行ったクリスタルがありました。
ポケットに入れていたのですが、ふとした拍子に転げ落ちて
境内の坂をころころ下って行ってしまいました。
辺りを探したけれど見つからなかったのです。
あれから3年経ったある日
あるはずのない、クローゼットの引出の奥から
指輪が忽然と姿を現しました。
あれから1年経った先日
あるはずのない車のダッシュボードからクリスタルが
コロンと飛び出て来ました。
なんなんでしょうかね、これって。
すんごい不思議なんすけど。
「ない」という現実は実はないのかもしれませんね。
なくした、とか不足とか、不満とか、何かが足りないという満たされない概念は
自分の世界に自らが勝手に創り出しているだけで
ほんとうは、いつのときもすべて「ある」のだよ、
すべてがカンペキに揃っているのだよ、と
そういうメッセージかと思います。
「ない」を数えて辛くなるんなら
「ある」の湯船に浸かってみたら安らかに満たされるよね。
分厚い雲の向こうにも必ず青空が「ある」んだからね。
- PREV
- 満月が美しい世界を見せてくれた。
- NEXT
- 不思議な答え合わせ。