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Mama I love you.
2014/03/18
母が天国に旅立ちました。
急性肺炎で10日間の入院を経てあっけなく旅立ってしまいました。
でもこの10日間は、母からの最後のプレゼントともいえる、すばらしい日々だったのです。
今日の記事は私自身のために書こうと思います。
親愛なる友人たちへの感謝とともに。
膝が痛いから整形外科へ連れて行ってほしいと母から頼まれた妹が
機転を利かせて総合病院へ行き内科受診を勧めたことで肺炎がわかり、そして10日で逝ってしまうという、信じられない展開ーーー
この日私は東京でリサの個人セッションを受ける予定だったのが、
私の乗る飛行機だけが欠航となって大阪にとどまることになったのは、
1分でも長く母のそばでいるようにとの宇宙の采配だったと振り返って思います。
入院生活の前半はユーモラスな母が看護士さんを笑わせるのをそばで聞き
自分のジョークに受けてキャッキャッと笑う母を見て私も笑う日々。
奈良の田舎で育ったお転婆な母の昔語りはあまりに可笑しくて
私や家族を笑わせる種にはほんとうに困らないのでした。
79歳になっても楽しむのが上手なのは、ゆたかな子ども時代を過ごしたからだそうです。なんて可愛らしく魅力的な人なんだろう、亡くなった父は母のこういうところに惚れたのかななどと改めて思っていたのでした。
これまで病院は行くだけで疲れる場所だと思っていましたが
母のいる部屋だけはちがっていました。
病室の窓からのゴールド色のひかりが流れ込む中
とてもあかるくておだやかで、やさしくて、きれいな周波数があって
それはそれはしあわせな場になっていたのです。
人生のたのしみ上手であるとかいつも感謝しているとか、
そういう母の周波数が死を前にして、
いつも以上に誰もが感じるほどに溢れだして場を美しくしていました。
わたしはこうして病室に通って母との時間を過ごす一方、自宅に帰ってからは母のハイヤーセルフと会話していました。
だから知っていたのです、母がこれで今世、地球を離れることになるということを。
高次の母は言いました。「受け入れて、ただ愛のなかで一緒にいてね」と。
信じたくなくて元気になってほしくて私は心のなかで大暴れするのですが、
高次の母からのメッセージは「ただ愛のなかでいてね」。
日に日に病状は悪化し、入院の後半はベッドから起き上がれなくなっており、
母はもうすぐサヨナラだと言い始めました。
孫たちも仕事や学校に都合をつけて全員が毎日病室へ来るようになっていました。母が会いたいと言った人に、片端から連絡をしたので、次から次へ親戚、友人、知人がお見舞いに来てくださって賑やかでした。
夜になると疲れるのに、お一人ひとりといつものように冗談まじりに笑顔で話し、これまでの出来事を語り「たのしかったね、ありがとう」と何度もお礼を言っていました。
ほとんどの方にちゃんとご挨拶が出来たようです。
最後の3日間は妹と病室で泊まりました。
「さあ、いよいよ、お別れが近づいてきたね」[今夜が最後]と母は言いました。
そしてベッドの両サイドにいるわたしと妹を両腕で抱きしめて
「やさしい二人の娘に恵まれて、やりたいことをすべてして、
とてもしあわせな人生でした。ありがとう」とそう母は言いました。
最後の朝日が昇ってからは神聖なお別れの儀式でした。
2年前に亡くなった伯母が迎えに来ているようでした。
もうほとんど話せなくなっていましたが「ママ、I love you」とわたしが言ったら、母も「I love you」と返してくれました。
これが最後の会話となりました。
家族みんなが「お母さんありがとう」「おばあちゃん、ありがとう」と言い続けて、ほんとうに母はたくさんの「ありがとう」の言霊のなかで静かに旅立っていきました。深遠な美しい瞬間。微笑みをたたえたとても美しい佇まいでした。
あれから2週間。多くの方々から、母が生前「娘とお婿さんによくしてもらって幸せ、孫たちがみんないい子で幸せ。感謝感謝!」と口癖のように言っていたと聞きました。そういった心持ちの積み重ねの末に、あっぱれな幕引きがあるのかも知れないと思います。
この期間にわたしは拡大した気がしています。
荒い粒は細かいザルを通過できないように、
拡大するとは細かくなるのと同意で、あらゆる場所を通過できるということです。
一番細かな粒子は量子レベルの粒子で、時間・空間の制限を受けていないそうです。
この一番細かな粒子というのは「愛」なのでしょう。
次元、時空を超えて存在するのは「愛」だけであり、宇宙は愛であるという確信。
それを母を含めた宇宙から教えてもらいました。
もちろん、ひとつのイノチがこの世からあの世へ移るとき、
決してきれいごとだけでは語れないことがあります。
私たち家族に苦しい決断も要されました。
そして肉体そのものが母ではなくて魂はなくならないことも私は知っているし、
高い次元にいる母と会話することもできるれど、
やはり、あのふかふかの肉体をハグできないことも、耳であの聞き慣れた声が聞けないことも寂しく悲しい私がいます。
けれど、あの病室でのきれいな振動数を思い出すとき、
母のハイヤーセルフの美しい気配を思い起こすとき
ここにチャネルを合わせればいつだって一緒にいることができることも
母は教えてくれました。
母の旅立ちに際して、ほんとうにたくさんの友人たちが
さまざまな方法で私への愛を届けてくれました。
たとえば、幼馴染みや学生時代の友人たちは「おばちゃん!」と口々に言いながら駆けつけてくれました。
そこにまたきれいな振動数が生まれて
瞬時にどこへでも流れこんでくる「愛」に感動してもいました。
リサのクラスの卒業モジュールに、リサや友人たちからやってくる愛にのって肉体は欠席でしたが、エネルギー参加している私がいました。
あれからずっと私は次元・時間を超えた愛のなかにいます。
最後に母と繋がった友人たちがくれたメッセージを書き残しておきます。
「お母様は愛に満ち溢れていた。Satomi、自分の人生を楽しみなさい、って。繋がると僕も涙が溢れてハートを開いてもらいました」by Atsushiさん。
「親が一番伝えたいことをSatomiさんがきちんとキャッチしたことを、お母さんはとても歓んでおられます。ものすごく高い次元へ昇られましたよ」by kazutaさん
「あなたはわたしのピカピカの鏡だったと繰り返しおっしゃっています」by utaさん
↓母と私を想って描いてくださった絵です。by Kyokoさん
Thanks♡
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