• 観賞する視点

    2025/04/15

    2年前に、アドレア海に面したモンテネグロという国に、友人を訪ねました。
    10日間の滞在予定のうち、4日目に私は高熱を出して倒れこんでしまったのです。

    40度近い熱で朦朧としていたので、予定をキャンセルし、日本から持参した薬を飲んで一人ホテルで寝ていることに。
    遠い異国で高熱を出して一人寝込むことの心細さ、コロナに感染していたとすると友人たちや一緒に行った家族に移さないだろうかとの不安が一挙に押し寄せて来ました。
    4日間熱は下がらなかったのですが、しかし、その心細さや不安はほんの最初だけだったのです。

    モンテネグロは夕方15時には多くの人の仕事が終わり、カフェタイムが始まる。小さなホテルの窓を開けて寝ていると、コーヒーカップの音や静かな談笑の声、それから近くの公園から子供たちの楽し気な笑い声が流れ込んで来る。
    熱にうなされながら、その一方でしあわせな音に耳を傾けていると呼吸がゆったりになり、満たされた気持ちになっていきました。

    この地はセルビアモンテネグロと呼ばれていたほんの30年前まで戦争の歴史が繰り返されていました。「だから、こうしてお茶を飲んで、歌って踊ってることが幸せなの。
    日本人のように勤勉じゃないけれど、私たちはこれでいいの、これが幸せなの」と出会った女性達の何人かがそう話していたのをぼんやり思い出していました。
    ほんまやな〜なんもいらんな〜これでええな〜と、なんだかさらに深い呼吸になりゆるゆるに。

    苦しいながらも確かに今の状況を楽しんでいる自分がいました。
    肉体は熱と痛みでウィルスと戦い、マインドは苦しみ不安に覆われて、でもそれを超えたところで
    今の状況を静かに客観視しながら、土地の空気感に包まれてやさしくしあわせな感覚になっていることを自覚していました。

    15時間のフライトで自宅に帰りついたのですが、帰国後病院に行くと、風邪から肺炎を併発しているということでした。身体はかなりきつい状況だったことを知って、帰国してから慌てました。ほどなくして治ったけどね。

    私とは肉体ではなく、感情でもなく、思考でもなく、起こる物事でもなく、それを見ている意識。これがいのちの正体ー。
    この感じと現実にどっぷりハマる感覚とを行ったり来たりだけれど、シぬときはこんな感じなのかなと思います。

    御茶ノ水に来ています。インド工科大学、アリゾナ大学の三枝先生のワークショップです。呼吸の深さと幸福度の関係、体感して意識を勉強してきます。

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